教授のつぶやき

All I really need to know, I learn in kindergarden  昔を語るようで今を語る。 過去を曖昧にしてきたから今がある。 繰り返さない為には記録しておくことだ。

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ビルマへの渡航手続き(南方経済対策から)

一般人の 南方への渡航手続き(書籍の抜粋はココにあります
追記readmoreのXを先に読むほうが分かり易いかも)

3行まとめ
慰安婦は渡航前に渡航目的が記入された証明書を持参していた事から職業詐欺は起こり得ない。公娼制度は人身売買を防ぐことが主要な目的の一つだったが、渡航手続きも人身売買の防止に寄与していたのです。

ここでは1942年に閣議報告された内閣の諮問機関(第五委員会)の議事録をまとめた資料から当時の南方への渡航手続きを解説します。
表題に「極秘」とありますが、注釈がないと陰謀論つながるので説明するとそれは「単に第五委員会の議事録は極秘にすることが委員会則で決まっていたからです」。
1942年と言えば文玉珠さん達18人や、ビルマで米軍の捕虜となった米軍捕虜尋問書No.49の20人の朝鮮人慰安婦たちが釜山港から軍用船に乗って2ヶ月かけてビルマへの旅に出発した年でもあります。(詳しくは韓国人の李栄薫教授のYouTube)
文玉珠の手記「ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私」の中の募集に関する2箇所(満州の慰安所へ憲兵に連行されられていった、ビルマへは食堂の手伝いが目的だった)は、いずれも虚偽であることを李栄薫氏が検証されています。
当時の朝鮮では「食堂の手伝いに行く」は「酌婦として売春をして稼ぎに行く」ことの隠語でした。
また、米軍調書の慰安婦の募集方法(recriutment)で、全員が売春と聞いていなかったと証言している事は、当時の渡航手続きからだけでも有り得ないことです。

  

南方への一般人の渡航制限(大東亜省連絡委員会の策定による)
(備考:スライドの番号は元資料の項順とは無関係)

二、邦人ノ南方渡航者統制關スル暫定措置要領(スライド3,4)
昭和十七年三月 二日 第六委員會決定(備考:第五委員会の後出のそれ)
昭和十七年三月十三日 閣議報告
一、佛印及泰國へ渡航者統制方針付前通トス
二、 佛印及泰國以外/南方諸地域へ渡航についテ之ヲ資源開発ヲ担当スベキ者ト一般渡航者トニ分け...
(1)資源開発ヲ担当スベキ者
(2)一般渡航者
一般渡航者ハ原則トシテ之ヲ抑制スルモノトス 但シ左ノ何レカニ該當スル者ハ關係官廳ノ協議ヲ経タル上陸海軍ノ承認ヲ スルコトヲ得
(イ)再渡航者
(ロ)現地商社ヲ有又有シタル者又ハ其ノ使用人
(ハ)在留邦人ノ呼寄家族
(ニ)其ノ他闘係官廳ニ於テ必要ナト認メタル者
三、南方占領地渡航者の軍属ノ資格ヲ賦興セラレタル者ノ外凡テ渡航許可書ノ携帯ヲ要スルモノトス
渡航許可書ハ外務省ニ於テ發給シ渡航者ハ出発前に之ヲ陸海軍ノ承認ヲ得ルヲ要ス

四、陸海軍ノ指示ニ依リテ渡航スル者ニ付テハ其ノ氏名、身分、内地ノ住所、渡航ノ目的ヲ陸海軍ヨリ外務省ニ通報スルモノトス

以下は
「邦人ノ南方渡航者統制關スル暫定措置要領」の参考箇所


委員会の目的は、占領後に産業復興を目的として、邦人の渡航を調整するように、内閣に諮問することのようだ。(スライド7,8)
(七) 南方ノ陸海軍占領地域スル渡航ニ付テハ帝国ノ核心トスル日満支ノ經濟建設ノ急務ナル等ニ鑑ミ此ノ際一般人ニ付テハ差當り差止ムルコトトナッテイルが右ハ現状ニ於テハ當然ノコトト云ハネバナラス。政府ニ於テハ情勢ノ展開ニ応じ厳選ノ上再渡航者及必要ト認ムル者ヨリ逐次其ノ進出ヲ計ル方針デアル
第一 南洋方面ニ對スル經濟對策ニ關スル事項ヲ審議シ且之スル關係各廳事務聯絡調整ヲ計ル爲企畫院ニ第五委員會置ク

占領直後は、邦人の渡航を制限するように諮問している(スライド5)
四、邦人ノ佛領印度支那渡航取締方ニ關スル件
昭和十五年八月二十八日 第五委員會幹事會決定(北仏印の進駐開始は同年の9月23日)
日、佛印間八目下經濟關係緊密化に關スル話合行ハレ居が所、本邦ヨリ多數ノ渡航者が無制佛印入國スル時邦人間利權其ノ他關スル無益ノ競争ヲ惹起シ交渉ノ障害トナルモアリ、且従来ノ 如キ競争ニヨル好マシカル状態ヲ再現セシメザル爲当分ノ間左記方針ニヨリ邦人渡航者ヲ取締ルコトトス
追テ右取締ヲ解除スル場合ハ其ノ旨明カニスルコト

一、原則トシテ新規渡航者ノ出發ヲ差止ムルコト
(略)
以上

慰安婦の渡航手続き
三、南方占領地渡航者の軍属ノ資格ヲ賦興セラレタル者ノ外凡テ渡航許可書ノ携帯ヲ要スルモノトス
渡航許可書ハ外務省ニ於テ發給シ渡航者ハ出発前に之ヲ陸海軍ノ承認ヲ得ルヲ要ス
慰安婦は軍属ではないので外務省発給の渡航許可書を携帯していたのだろう。この目的は産業の振興を促進するため経済人の渡航の制限にあり、委員は慰安婦の事は意識にもなかったであろう。
これは支那方面の渡航の場合と同様である。(追記参照)
四、陸海軍ノ指示ニ依リテ渡航スル者ニ付テハ其ノ氏名、身分、内地ノ住所、渡航ノ目的ヲ陸海軍ヨリ外務省ニ通報スルモノトス
項目四、または前出の次の(ハ)と(ニ)のどちらかに該当するとしても、慰安婦は、渡航目的(酌婦、稼業婦或いは慰安婦)が記入された証明書を持参していたことになる。
(2)一般渡航者
(ハ)在留邦人ノ呼寄家族
(ニ)其ノ他闘係官廳ニ於テ必要ナト認メタル者

(ニ)の適用とする場合は、陰謀論軍は恣意的に渡航を許可していた)が蔓延るところだが、このルールは慰安婦を考慮して作られたものではない。上記の手続きで軍が必要と認めれば慰安婦の渡航は可能なのだから、軍には恣意的な他の理由(例えば、看護婦のような、洗濯婦、食堂の従業員等)で渡航を許可する必要性はなく、渡航目的を稼業婦(慰安婦の公式名称)とすればよいだけだ。
陰謀論は、他の目的でないと募集が困難だったことが原因しているが、当時の朝鮮半島は売春婦の供給過多だった社会背景からして、合理的な理由がない(read more参照)。

(ハ)を使ったとしても、受け入れる側の規則では軍の慰安施設(≠慰安所)の従業員の交代は現地の呼寄せ申請で被呼寄せ人は渡航できたことは下記の第十六条に示す通りだ。
其の場合も呼び寄せの事由が稼業婦としても何の支障もない。
占領地に於いて初めて慰安所を設置した地域の初期以外はこの呼び寄せ方式で渡航していたのだろう。

マレー軍政規定集解説④22,23P
第十六條 地方長官ニ於テ、邦人の営業経営者及従業員の呼び寄せの要アリト認メタルトキハ 関係者の呼寄證明願に其の事の事由を具シ、軍政監に報告シ其の決定ヲ得テ處理スべシ

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↓追記はXによる解説と書籍からの引用です


この記事の具体例です

資料(注:仏印への進駐は真珠湾攻撃1941/12/8の一年以上前)
南方進出


中支那の大都市 漢口の慰安所は総勢300人(朝鮮人は一割程度)の大規模なものだったが、職業詐欺は7年間で1人(朝鮮人)見つかっている。少ない理由は渡航前に発給を受けた証明書(目的欄に酌婦トシテ)の発行にある。平常時の手続きは現地発行の呼び寄せ許可書を入手して警察署経緯で外務省発給の渡航許可書を下付けする。



南方への渡航は、一時期から軍発行の軍従属者の資格書(または現地軍の呼び寄せ許可書)で外務省発給の渡航証明書を代替する様になりました(支那への渡航は従来通り)。慰安婦は軍従属者の慰安所従業員に分類されます。(一時期以前は記事のように外務省発給の渡航証明書に依ります)
ビルマへの渡航手続き(南方経済対策から) 教授のつぶやき



「軍従属者の資格(御用商人、慰安所員、酒保員等)を取得し軍と共に或いは現地軍の呼び寄せ依り入領」とあることからここ(S.18.3.10)では、慰安婦は軍発給の資格証明書または呼び寄せ許可書で現地入りしている事になります。
陸亜密1283号の「ト」以前は外務省発給の渡航証明書に依るのだろう。(1283号は日付と内容から正式な公電ではなかった可能性もあります

軍従属者の資格

この記事のスレッドリーダーはコチラです。

https://threadreaderapp.com/thread/1728706824973742555.html

 
南方に行った慰安婦は二ヶ月ぐらいで借金を返せた。

もう一つ留意する点は、慰安婦によって収入に差があったこと。これは物理的或いは制度的な強制力のない自由経済活動であったことを示している。また月収に注目すると、月に何軒も家を購入するほど収入がある高級取りの性奴隷であったことが分かります。





慰安婦希望者を断るのに苦労



「日本軍人が証言する戦場の花朝鮮人慰安婦」細谷清/編著 目良浩一/監修 2019年
抜粋
次に従軍慰安婦の強制連行という言葉に大いにイチャモンを付けたい。まず我が部隊でのピー連中で大体月額最低百五十円を家郷へ送金していた。 内地では当時建て売りの借家が一軒百八十円位で買えた。それを人に貸すと家賃が月八円位だった。 一年も働くと千円からの財産家だ。泣きの涙で働かされたなんてトンデモないことだ。強制連行してまで引っ張って来なくてもナンボでも募集に応じて来るソウダ。
(略)
「ハイ。もーすぐ南の方面で大作戦があるらしく大部隊がトントン集結中で、武昌の町は兵隊で 一杯。うちの慰安所イソカシ、女の子足りないので私の田舎の父母に女の子ポッシュして貰うてた。 集まったから受け取りに来た
「フームそんなに簡単に集まるなんてホントかな?」
ホントホント私の家の者、毎日断るの苦労してるよ。 これは本当。私の店は、他の店よりちょっと工夫してサービスを良くしただけでお客は何時も満員。女の子も私も儲かるからサービスする、また客来る、私も女の子も儲かる、儲かるからまたサービスする。 昔、曹長さんが漢口へ引っ張っ て来てくれたお陰です。本当にお世話になりました」と大感激の一幕だった。
「ソーカそれは良かった、これからも天狗にならずに女の子を良く可愛がるように」
「ハイ、良く分かりました。うちで働く子は私の妹より大事に可愛がっています。ところで曹長さん、平壌に何時までいらっしゃいますか? 集まった女の子の顔をみてその子達の親にお金を渡したら直ぐ平壌へ行きたい。平壌のどこに行けば会えますか?」
(以下略)

ここからはもう一つ重要な事(募集方法)が分かる。
当時の朝鮮半島での慰安婦の募集方法だ。人脈を使って狭い地域から集められた。これは文玉珠たちのグループ18人も米軍捕虜尋問調書No.49にある慰安婦グループ22人も全員(管理者も含め)が大邱出身者であることからも支持される。
20万人(若い女性の1割ほど)は、朝鮮帰国後に管理者や手配師と顔を合わせることもあっただろうに。
騙されたのなら何故訴えない?


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